論文紹介

弁理士 江藤聡明が、「発明の本質」に関連してこれまでに作製してきました論文をご紹介させて頂きます。

発明の本質に関する4部作

第3部(2004年)

【最良のクレームとは何か? 曖昧なクレームとの境界は】

平成17年日本弁理士会 中央知財研 研究報告15号掲載
判例タイムス社 「クレーム解釈論」2005年発行 掲載
2004年 脱稿
弁理士 江藤聡明

1.最良のクレームとは?

(1)最良のクレームとは

(新規性、進歩性等の実体的要件の充足を前提として、)創作された発明について権利範囲を最大限広く確保することのできるクレームであり、且つ特許法36条6項2号に定める「特許を受けようとする発明が明確であること」という記載要件を充足するクレームある。
「発明」は、技術的思想の創作である旨定義されており(特許法2条1項)、「発明が明確であること」という意味は、クレームの記載から「技術的思想」が明確になっているという意味である。そして、権利範囲はクレームに記載された当該発明たる技術思想の範囲である。明細書に開示された具体的な実施の形態が権利の外延を示すものではない。

(2)発明の本質を捉えたクレーム

発明を最大限広く記載するということは、発明を記載するに当たり、不必要な限定をしないことである。すなわち、不要な構成要素を記載しないこと、或いは、不必要に下位の概念で記載しないことである。そして、完全に不要な限定をしないでクレームを記載することができたとすれば、そのクレームから画定される発明概念はその「発明の本質」であり、換言すれば、この「発明の本質」を正確に捉えてクレームを記載することができれば、それは最良のクレームである。
均等論の適用要件(第1要件)の判定基準の概念として用いられる「発明の本質的部分」もクレームに記載された発明から不要な限定を除外した概念であると考えられる。すなわち、均等論の適用が肯定されるということは、クレームに記載された文言から画定される発明の範囲には包含されない対象物(方法)を侵害物(方法)であると認定するということであり、その場合、クレームには発明の本質ではない不要な限定が存在するのである。まず、その限定要素を除外して発明の中核である発明の「本質的部分」を抽出し、その本質的分が対象物(方法)においても共通するものか否かを検討するのが上記第1要件の判断だからである。
すなわち、対象物の構成のうち特許発明の構成と相違する部分が特許発明の本質的部分であれば、そもそもその対象物は特許発明の本質的部分を取り入れていないものであるから権利侵害ではなく、相違する部分が本質的部分でなければ、特許発明の本質的部分においては共通しているのであるから、他の均等の要件が判断されるのである。
この様な「発明の本質的部分」を抽出してクレームを作成できれば、それは均等論の適用の余地(又は必要)のない(文言侵害で対応できる)究極のクレームである。すなわち、上記第1要件が判断され、本質的部分において相違していないとなるとそれは即ち、クレームの構成要素をすべて取り込んだ文言侵害の範囲の対象物(方法)になるからである。

(3)発明の本質的部分のみをクレームアップすることの難しさと可能性

果たしてこの様な究極のクレームの作成が出願時において可能であろうか。
そもそも発明者が発明を完成した時点で、その発明の中に発明の本質的部分とそうでない部分とが見出されているものではない。
発明の本質のみを正確にクレームアップすることの困難性は、文言で本質を表現することの困難性や、発明の本質を把握するために必要なその時時点での技術水準(公知技術)が侵害事件の裁判の段階程度には明確になっていないことなどによるものである。すなわち、発明の把握は正確にできていたが、発明の構成要素を記載する際に無用な限定要素を加えてしまったり、概念を絞り過ぎたりしたるすることは起こりうることであり、また、出願後の過程において、発明者や出願人が認識していないような新たな引用例が提示されることは珍しいことではない。
侵害事件の裁判において均等論の第1要件が肯定され、他の要件も充足した場合、クレームの文言によって画定される発明概念には「発明の本質的部分」とそうでない部分が存在していることが肯定されたことになる。このことは、クレーム記載の発明からその本質を抽出すること、すなわち、クレームに記載された或る「限定要素」が除外されたり、下位概念の構成要素が上位概念化されて把握されることを意味する。例えば、「U字溝」と記載されているものを「溝」と把握したり、「ゴム」と記載されているものを「弾性部材」と把握するようなことである。
この様に侵害か否かの判断時点では、発明の本質的部分の認定が行われるのであるから、出願時においても少なくともその時点で確認されている公知技術などに対応する発明の本質的部分を抽出することは可能であり、したがって、出願時に究極のクレームを作成することも不可能ではないはずである。

(4)機能表現によるクレームあるいは上位概念化したクレーム

この様な発明の本質のみを捉えた究極のクレームを作成するに際して、考えられるの1つの方向は、機能的表現を用いたクレームの作成や上位概念化してクレームを作成することである。発明の構成を記載するに当たって具体的な構成部材を記載するのではなく、機能的にその手段(機能+手段)を記載したり、機能的に動作を(~になるようにすると)記載することであり、また、実施例の構成要素の上位概念でクレーム記載するようなものである。
これは一般に行われていることであり、発明の或る1つの構成要素が1つの具体的な構成部材では表せない場合、すなわち、具体的部材を記載したのでは過剰限定になるような場合に、発明(技術思想)をより的確に表すために機能表現や上位概念を用いるものである。
ただ、この様な機能的記載や上位概念記載によれば、全て不必要な限定を回避できるというものではなく、例えば、機能表現の場合、機能にも上位概念、下位概念があるので、発明が成立する範囲で最も上位の機能を選択しなければならないという難しさもある。しかし、少なくとも具体的な構成部材を記載するよりは広い概念として記載することができる。
この様な機能的な表現がクレームを不必要な限定のない究極的な最良のクレームに近づけるために用いられる場合、発明が明確でないとされる曖昧なクレームとの境界が問題となる。可及的に権利範囲を広くするということは、狭い概念の具体的な事項による限定を避けるという意味であり、最良のクレームと曖昧なクレームとは紙一重の差で存在するものと言える。
以下、特許法が要求しているクレームの記載要件について述べ、その後2つの判決を検討しつつ、広い権利範囲を持つ最良のクレームと権利範囲の画定の基礎となり得ない曖昧なクレームとの境界について検討する。
取り上げた2つの地裁判決は、ほぼ10年の時間を隔てて出された判決であるが、その論理展開は共通しており、クレームの記載は単に課題や目的の裏返しを記載しているに過ぎず、権利範囲の画定の基礎になり得ないと認定したものである。

2.特許法の定めるクレームの記載要件

特許法第36条

第5項:特許請求の範囲には、請求項に区分して、各請求項毎ごとに特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記載しなければならない。この場合において、一の請求項に係る発明と他の請求項に係るとが同一である記載となることを妨げない。(拒絶、異議、無効の理由にはならない)

第6項:特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
1号:特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。
2号:特許を受けようとする発明が明確であること。
3号:請求項ごとの記載が簡潔であること。
4号:その他経済産業省で定めるところにより記載されていること。

審査基準では、上記第6項の2号を規定した趣旨は、発明が明確に把握されなければ、的確に新規性、進歩性などの特許要件の判断ができず、また、特許発明の技術的範囲も理解し難いからであるとされている。
この規定の運用は、まず、発明の把握に当たっては、明細書、図面、技術常識を考慮するものとしている。ここで、技術常識とは、「技術常識とは、当業者に一般的に知られている技術又は経験則から明らかな事項をいう。したがって、技術常識には、当業者に一般的に知られているものである限り、実験、分析、製造の方法等も含まれる。当業者に一般的に知られているものであるか否かは、その技術を記載した文献の数のみで判断されるのではなく、その技術に対する当業者の注目度も考慮して判断される。なお、技術常識は、周知・慣用技術よりも広い概念の用語である。」(特許実用新案審査基準特許庁編発明協会発行より)
更に、審査基準では、「例えば「物の発明」の場合に、発明を特定するための事項として物の結合や物の構造の表現形式を用いることができる他、作用・機能・性質・特性・方法・用途・その他のさまざまな表現方式を用いることができる。同様に、「方法(経時的要素を含む一定の行為又は動作)の発明」の場合も、発明を特定するための事項として、方法(行為又は動作)の結合の表現形式を用いることができる他、その行為又は動作に使用する物、その他の表現形式を用いることができる。」とされ、その場合、「請求項が機能・特性等による物の特定を含む場合において、発明の範囲が明確であるか否かは、以下のように判断する。
当業者が、出願時の技術常識(明細書又は図面の記載から出願時の技術常識であったと把握されるものも含む)を考慮して、請求項に記載された当該物を特定するための事項から、当該機能・特性等を有する具体的な物を想定できる場合(例えば、当該機能・特性等を有する周知の具体的な物を例示することができる場合、当該機能・特性等を有する具体的な物を容易に想到できる場合、その技術分野において物を特定するのに慣用されている手段で特定されている場合等)は、発明の範囲は明確である。」とされている。

-貸しロッカー事件、磁気媒体リーダー事件のクレームは最良のクレームか-

3.第1の事例[貸しロッカー事件]

(昭和50年(ワ)第2564号実用新案権侵害禁止等 請求事件)

(1)クレームの記載

【実用新案登録請求の範囲】鍵2の挿入または抜取りにより硬貨投入口8を開閉する遮蔽9を設け たことを特徴とする貸しロッカーの硬貨投入口開閉装置。
                         (昭和43年出願、単項制)
  <図面>

挿入図面 1

(2)判決における請求の範囲についての判断(参考資料2より)

昭和52年7月22日、東京地裁判決での「実用新案登録請求の範囲」についての判断を抜粋する。
「本件考案の実用新案登録請求の範囲に記載されているところは、鍵の挿入又は抜取りにより、貸ロッカーの硬貨投入口を開閉する装置を構成する課題の提示のみであるというべきである。」
「右各手段についての表現は、抽象的であり、右各手段が具体的にいかなる中間的機構を有すれば、鍵の挿入又は抜取りという動作と遮蔽板の作動という動作とを連動させることができるかについては、実用新案登録請求の範囲の記載のみによっては知ることができないから、右のような抽象的な記載をもって、何ら右課題の解決を示したものということはできない。
「そこで、本件考案の技術的範囲を定めるためには、右明細書の考案の詳細な説明の項及び図面の記載に従い、その記載のとおりの内容のものとして、限定して解されなければならない。したがって、本件考案の構成要件を具備した装置がすべて本件考案の技術的範囲内にあるものということはできない。」

(3)無効審判の審決での判断(参考資料3より)

以下に、昭和50年審判第4937号、昭和52年5月2日審決の抜粋を示する。
  「請求人は、まず、鍵の挿入又は抜取りという動作と遮蔽板の移動という動作とを連動させる運動伝達のための中間的機構が、本件登録実用新案の不可欠の構成要件であるにもかかわらず、実用新案登録請求の範囲に記載されていないから、本件実用新案登録は実用新案法第5条第4項の規定に違反すると主張するので、この点について審究する。
実用新案法第5条第4項に実用新案登録請求の範囲には、考案の詳細な説明に記載した考案の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならないと規定されているに留まり、実施例の具体的構造について記載すべき旨の規定はなされていないので、必ずしもそれについて記載する必要はなく、実施例の具体的構造を包含する上位概念を記載することもできるのであって、本件登録実用新案においては上記中間的機構が記載されていないからといって、実用新案法第5条第4項の規定に違反して登録されたものであるとすることはできない。」

(4)検討

(イ)無効審判の判断と地裁の判断
上記無効審判の審決は、上述のように請求棄却(特許維持)の審決である。この審決の直後になされた東京地裁判決でのクレームの記載要件についての判断は、この審決の判断とは正反対の判断であると言える。
審決では、上記クレームは法の定める記載要件に違反するものではないとしており、地裁判決では、クレームの記載は課題の提示のみであり、表現も、抽象的であり、考案の内容を実用新案登録請求の範囲の記載のみによっては知ることができないから、何ら右課題の解決を示したものということはできないとしている。すなわち、地裁判決では、記載要件違反である旨を明示しているわけではないが、事実上記載が不備であると認定している。
なお、本件の出願に適用されるクレームの記載要件は、上記「2.」で述べた現在の基準とは異なっている。すなわち、「考案の詳細な説明に記載した考案の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない」というものであり、現在の「考案が明確であること」というものではない。しかしながら、実質的に「考案の詳細な説明に記載した考案の構成に欠くことができない事項のみ」が記載されていれば考案は把握できるわけであるから、この記載要件の相違については、この検討においては特に問題にしない。
(ロ)地裁の認定について 
(i)本件考案に係る「貸しロッカーの硬貨投入口開閉装置」の課題は?
クレームの記載が単に「課題の提示に過ぎない」か否かは、まず、本件考案に係る「貸しロッカーの硬貨投入口開閉装置」の課題を正確に把握しなければならない。その課題は、<ロッカー使用中には誤ってコイン投入をできないようにし、かつ使用中の使用者によるコインの追加投入については、鍵を回して扉を開けることなくこれを可能にすること>である。(この課題を如何に解決するか?、その解決思想がこの課題を認識しただけで直ちに想起されるか否か?)
(ii)上記クレームがこのような課題や目的をそのまま記載したと言えるのか?
クレームの内容が仮に、「ロッカー不使用時にはコイン投入口を開放し、ロッカー使用中にはコイン投入口を閉鎖し、追加投入時には解錠することなく投入口を開放するようにしたことを特徴とする・・・」というクレームであれば、上記課題を単に焼き直しただけであり、課題の提示にすぎないと言えるであろう。
しかしながら、上記本件のクレームの「鍵の挿入または抜取り」という動作に連動させて「硬貨投入口を開閉する遮蔽」を設けるという事項は、単なる課題の提示を超えるものであり、課題を解決するための1つの「技術的思想」を提示しているものである。課題の提示に過ぎないか否かは、まず、上記本件考案の課題だけを見て創作活動を行うことなく直ちにクレーム記載の思想が出てくるか否かを判断すべきであり、本件の思想については直ちに出てくるものではないと思われる。
(iii)現行の審査基準に基づく検討
現行の審査基準による判断、すなわち、上記クレームの記載に基づいて当業者が、その発明の実施例を容易に想定し得るか否かについては、本件の場合これを否定することは難しいのではないだろうか。
クレームから把握される「鍵の挿入」動作と「遮蔽板」の開動作の連動、「鍵の抜取り」動作と「遮蔽板」の閉動作の連動は、当業者のレベルを想定するまでもなく、具体的な手段が想起され得るものと考える。更に、明細書に記載された具体的例示(実施例)を見れば、同レベルの他の構成例の想起がより容易に促されるものと考えられる。
すなわち、中間機構はクレームの記載に基づいて、かつ技術常識を考慮することにより具体的に想定できる範囲のものである。また、中間機構である鍵によって動かされる作動棒6やクランク棒7と遮蔽板の関連構造を提示され、一般的な力の伝達機構の説明を受ければ、当業者でなくとも短時間で、種々の機構を発想し得るものと思われる。
地裁判決では、いかなる「中間的機構」を有すれば、鍵の挿入又は抜取りという動作と遮蔽板の作動という動作を連動させることができるのかクレームの記載からは不明であるとしているが、そもそも、「中間的機構」が本考案の実施例として必須のものと考えていること自体にも疑問が持たれる。
例えば、鍵の形状を工夫してその先端や側部で直接、遮蔽板の機能を有する部材を押すという最も部材点数の少ない機構を考慮すれば、それすら不可能ではないと考えられるし、実施例で用いられている「付勢手段」についても必須とは言えず、これを使用することなく遮蔽板の通常時遮蔽状態を確保することも容易な範囲である(例えば、錘を付けた回動機構など)。
この様に、本件クレームに書かれた事項(課題解決思想の提示)を把握すれば、その実施例を想定することができ、また、明細書の実施例を見れば、それと横並びの関係にある他の構成例が容易に想起される状況であるとすれば、本件クレームは現行規定及び審査基準の要件を充足していると考えるべきである。
(ハ)進歩性の判断との区別
本件の出願については、審査過程において、米国特許3050169号が提示されている。この技術は、ロッカーの使用中(ロック状態)にはコインの投入をできないようにした点では共通しているが、鍵を挿入するだけでなく、回転させなければ投入口が開放されないという点において、本件考案とは異なっている。
この提示された米国特許の公知技術については、本件考案がこの公知技術に対して進歩性を有するか否かという判断の基礎になるものであり、クレームの記載要件の判断の基準として用いるのは妥当ではない。すなわち、上記公知文献に記載された構成に基づいて、「遮蔽」を「鍵の挿入または抜取り」という動作に連動させるという構成を、課題の提示の域を超えていないと判断し、記載要件の問題とすることは妥当ではないと解する。クレームの記載要件は、上述の審査基準のように、新規性や進歩性の判断を行うことのできるレベルまで考案が把握できるか否かを基準として判断されるものであり、審査において発見された、公知技術との関係において判断されるものではない。それら公知技術との関係は、進歩性の問題として検討すれば足りる。
(ホ)本件考案の権利範囲について
地裁の判決においては、クレームの記載の不備を前提として、明細書の詳細な説明と図面に記載の内容に基づいて権利範囲が画定された。従って、クレームに記載された考案の1つの実施例に該当する技術が自由実施の範囲であるとされる結論となっている。
上述のように、このクレーム記載が考案を明確にしており、記載不備ではないとの前提に立った場合、対象装置はクレームに記載の考案の範囲内にあり文言上の侵害である。
審査、審判の過程では、クレーム記載の考案は明確であると判断され、そのクレームから把握される考案(技術思想)の範囲で審査され、新規性、進歩性を有するものとされたものである。実施例の技術に関してのみ審査された分けではない。したがって、権利範囲は、クレームから把握される考案の範囲で認められるべきである。その範囲が十分に広い範囲であるとすれば、不必要な限定のない良いクレームであったということになる。
(ヘ)あまり知られていない本件のその後の経過とまとめ
この事件は、その後控訴され、控訴審において原告に有利な条件の下に和解が成立している。また、無効審判についても特許維持の結論で確定している。
本件の地裁判決により、本件クレームは一つの悪い例、すなわち、曖昧であったがために権利範囲を狭くした悪いクレームという位置づけをされてしまった感があるが、この様なその後の経過を見る限り、必ずしもそうではなく、裁判、審判の過程においても、記載要件を充たす権利範囲を広く確保した良いクレームであるとの評価を受け得るクレームなのである。

4.第2の事例[磁気媒体リーダー事件]

(平成8年(ワ)第22124号損害賠償請求事件)

(1)クレームの記載

【実用新案登録請求の範囲】  磁気ヘッドを媒体に摺接走行させて情報の記録或いは再生を行う磁気 記録或いは再生を行う磁気媒体リーダーにおいて、上記磁気ヘッドをレ バーに回動自在に支持すると共に、該レバーを前記媒体に沿って走行さ せる保持板に回動自在に支持することにより、上記磁気ヘッドが上記媒 体との摺接位置と上記媒体から離間した下降位置との間を移動可能とし、 上記磁気ヘッドと上記保持板との間に、上記磁気ヘッドが下降位置にあ るときには上記磁気ヘッドの回動を規制し、上位磁気ヘッドが媒体との 摺接位置にあるときには上記磁気ヘッドを回動自在とする回動規制手段 を設けたことを特徴とする磁気媒体リーダー。
(昭和57年出願)
  <図面>

挿入図面 2

(2)判決における請求の範囲についての判断
 

平成10年12月22日、東京地裁判決では、
「上記磁気ヘッドが下降位置にあるときには上記磁気ヘッドの回動を規制し、」との記載は、「磁気ヘッドがホームポジション或いはエンドポジションで停止しても磁気ヘッドが正常な姿勢でいるようにした」という本件考案の目的を記載したにすぎず、「回動規制手段」という抽象的な文言によって本件考案の機能ないし作用効果のみを表現しているものであって、本件考案の目的及び効果を達成するために必要な具体的な構成を明らかにするものではないと認められる」と判断した。
また、機能的、抽象的な表現で作成されたクレームの解釈についての一般論として以下のように述べている。
  「実用新案登録請求の範囲に記載された考案の構成が機能的、抽象的な表現で記載されている場合において、当該機能ないし作用効果を果し得る構成であればすべてその技術的範囲に含まれると解すると、明細書に開示されていない技術思想に属する構成までもが考案の技術的範囲に含まれ得ることとなり、出願人が考案した範囲を超えて実用新案権による保護を与える結果となりかねないが、このような結果が生ずることは、実用新案権に基づく考案者の独占権は当該考案を公衆に対して開示することの代償として与えられるという実用新案法の理念に反することになる。したがって、実用新案登録請求の範囲が右のような表現で記載されている場合には、その記載のみによって考案の技術的範囲を明らかにすることはできず、右記載に加えて明細書の考案の詳細な説明の記載を参酌し、そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該考案の技術的範囲を確定すべきものと解するのが相当である。ただし、このことは、考案の技術的範囲を明細書に記載された具体的な実施例に限定するものではなく、実施例としては記載されていなくても、明細書に開示された考案に関する記述の内容から当該考案の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下、「当業者」という。)が実施し得る構成であれば、その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。」

(3)検討

(イ)地裁の認定について
(i)上記判決では、クレームの記載を単に「目的を記載したにに過ぎない」と認定している。
まず、本考案に係る「磁気媒体リーダー」が解決しようとした課題は何であったか?
明細書全体から把握される本来の課題は、「磁気ヘッドが上昇して磁気記録体に当接されたときに傾斜した状態にある場合、垂直となって正常な摺接走行を開始するまでに時間が掛かり書き込みジッターが低下するなど正しい記録再生が行われない」こと及び「磁気ヘッドが傾斜して細長の窓孔に当たる危険があった」こと(詳細な説明より)である。
したがって、本件考案の本来の目的はこの課題に対応すべきものであり、磁気ヘッドの上昇後、瞬時に正常な書き込み、読み出しを可能とすることであり、また磁気ヘッドの窓枠への衝突防止を防止することである。
  そして、この目的の達成は、磁気ヘッドが記録読み取りの対象物である通帳に対して追従できるように「回動可能に支持されている」ことを前提条件としてなされなければならないのである。
(ii)上記の様に「課題」や「目的」が把握された場合、上記クレームの記載が単にそれら目的や課題を記載したに過ぎないと言えるであろうか?。
 本件のクレームが仮に、「磁気ヘッドが摺接位置に上昇して磁気記録体に当接するときには傾斜のない状態にするようにしたことを特徴とする・・・」という記載であれば、判決で述べられたように「本件考案の目的を記載したに過ぎない」クレームということになろう。すなわち、このクレームの内容では、何ら課題の解決思想が示されておらず、考案が明確とは言えないことは勿論である。
しかし、上記本件のクレームはこの様な単なる目的の裏返しの記載ではない。すなわち、本来の目的である「磁気ヘッドが上昇して磁気記録体に当接されたときに瞬時に垂直となって正常な摺接走行を開始することができ、また、窓孔の幅を広げる必要のない「磁気媒体リーダー」を得るということを認識しただけで、想起できる内容ではない。本件のクレームにはそのような「磁気媒体リーダー」とするための技術的思想が示されていると考えられ、したがって、本件のクレームの記載は考案を明確に開示しているものと解される。
しかし、本件判決で、クレームは単に目的を記載しているに過ぎないと認定された原因は、明細書の目的の記載欄の不適切さにも起因していると考えられる。明細書の目的の欄には「磁気ヘッドがホームポジション或いはエンドポジションで停止しても磁気ヘッドが正常な姿勢でいるようにした磁気媒体リーダーを提案することである」と記載されている。この目的の記載欄に記載された事項は、本来の目的を超えた目的達成のための思想、すなわち、解決手段にまで及んでいる。
「発明」が完成する過程では、一般的には、まず、課題が認識されなければならないが、その次にその課題の生じている原因の検討がなされ、発明によってはその原因の究明こそが解決手段の創作に直結することもある。したがって、課題の生じている原因を正確に認識することは、発明行為の一過程であるとも考えられる。
本件の場合、課題の発生している原因が磁気ヘッドの下降位置(書き込みや読み取りを行わない位置であるホームポジションやエンドポジション)における状態にあることを認識し、これを基礎として考案の創作が行われたのである。したがって、上記明細書の目的欄の「磁気ヘッドがホームポジション或いはエンドポジションで停止しても磁気ヘッドが正常な姿勢でいる」様にすること、すなわち、下降位置において傾斜しない様にすることは、目的達成の手段なのである。この様に目的達成の思想まで記載してしまった「目的欄」を前提にして、本来の目的を想定しなければ、クレームの記載は確かに目的の焼き直しに過ぎず考案は明確とは言えないということになるであろう。
ただ、考案の真の課題や目的が何であるのかの把握は、記載された従来技術や明細書全体から行われるべきであり、目的の記載欄に書いてあるからといって常にその記載に基づいて判断しなければならないものでもないと考えられる。
しかしながら、本件の場合、目的欄の記載の問題もさることながら、課題を認識すれば、クレームの構成を見るまでもなく、種々の解決手段が容易に想起されるのではないかという進歩性の有無の問題等もクレーム記載(発明の明確性)の問題としてではなく別途検討されるべきであろう。
(ロ)現行の審査基準に基づく判断
上記クレームの記載が、上述のように単なる目的の裏返しではなく、考案を明確に特定しているか否かについて、現行の審査基準に基づいて検討する。
上記クレームに記載された考案に基づいて、このような技術を開発する当業者が、その発明の実施例を容易に想定し得るか否か?。すなわち、「磁気ヘッドが上記磁気ヘッドが下降位置にあるときには上記磁気ヘッドの回動を規制し、上位磁気ヘッドが媒体との摺接位置にあるときには上記磁気ヘッドを回動自在とする回動規制手段」の記載に基づいて当業者は具体的な「回動規制手段」の実施例を想定できるであろうか?
この点は、上記事例1の「貸しロッカー事件」の場合と同様に想定できないとすることには無理があると考える。このクレームの記載を見れば、当業者であれば「技術常識」を考慮して種々の実施例を想定することができると思われる。また、明細書及び図面に記載された実施例を参酌すればそれはより容易になるものと思われる。したがって、審査基準の条件に照らせば本件クレームに記載された考案は明確である。すなわち、審査の対象として明確に特定されている。
(ハ)本考案の権利範囲について
本件の「磁気媒体リーダー」の場合、「磁気ヘッド」について、その下降位置では、回動が規制され、摺接位置では回動自在とする回動規制手段が、審査をなし得る程度に対象発明として特定されているものとされた上で、その様な手段は、従来技術としては如何なる構造のものも存在しておらず、他の公知技術を参酌してもきわめて容易に創作できるものではないと判断された故に登録されたものである。したがって、新規性、進歩性を有しているという判断が妥当であることを前提にすれば、クレームに記載された考案の範囲で権利範囲が画定されることに何ら問題はないと考えられ、対象物は本件クレームに係る考案の文言上の侵害物である。

4.まとめ

(1)クレームに記載された発明(考案)が明確であるとされるためには、審査基準に記載されているように、新規性や進歩性の判断ができる程度に、また特許(登録)後に技術的範囲の把握ができる程度に明確であれば良いと考える。
それ以上の判断は、実体的な要件による判断として行うべきである。クレームが機能で表現されていてもまた、大きな概念(上位概念)の構成要素が記載されていてもそのこと自体をもって、曖昧なクレームとし、明細書の実施例の記載に権利範囲の根拠を求めるのは、現行法で「発明が明確であること」とのみ記載されている記載要件の趣旨に反するものと考える。
機能表現により広い範囲の発明がクレームに記載されていてもその発明が、思想として把握できれば、審査は可能である。そして、広く記載されたクレームはそれだけ新規性、進歩性の条件のクリアが難しくなるのであるから、広すぎるので有ればそれらの要件を充足するように限定すべきということであり、記載要件違反として、或いは曖昧なクレームであるとして特許(登録)後に、権利範囲が縮小されるべきものではない。そのような認定は、可及的に広いクレームを作成して審査をパスして生まれた権利の権利者に酷である。
また、クレーム作成者は、究極的な最良のクレームを追求するのが常であり、均等の適用の不要な理想的クレーム、すなわち、発明の本質的部分のみをクレームアップしたものが、簡単に曖昧なクレームとされてしまうことがあれば、クレーム記載のレベルを全体として低下させてしまうことにもなる。
この点、上記2つのケースのクレームは少なくとも不必要な限定をできるだけ避けているという点では寧ろ、良いクレームとして評価されるべきであり、その様な評価をしなければ、実施例に相当する技術を全てクレームアップしなければならないことになり、第1項に上述のクレームを記載し、2項目以降に実施例対応クレームを記載するとしても限界がある。ただ、この様な広い範囲をカバーしたクレームに従来技術とのバランスから問題があるとするのであればそれは、進歩性や新規性の問題として、権利範囲の縮小を考えるべきである。

(2)曖昧なクレームか、良いクレームかの判断フローチャート(最終頁に添付)

まず、(A)クレームの記載事項が、単に課題を裏返しにしたに過ぎないか?
を判断するが、単に裏返したに過ぎないクレームとは、上記2件の事例について再度述べると、「ロッカー不使用時にはコイン投入口を開放し、ロッカー使用中にはコイン投入口を閉鎖し、追加投入時には解錠することなく投入口を開放するようにしたことを特徴とする・・・」や「磁気ヘッドが摺接位置に上昇して磁気記録体に当接するときには傾斜のない状態にするようにしたことを特徴とする・・・」というクレームになる。
更に分かり易い例をあげると、断面形状が円形の鉛筆が従来技術である場合に、「鉛筆が転がらないようにしたことを特徴とする・・・」というクレームは、単なる課題の裏返しであり、解決手段を提示しているとは言えない。
この様な課題の裏返しではないと判定された場合(Noの場合)、ここで、審査基準で説明されている(B)の当業者であれば技術常識を考慮して実施例を想定できるか?が判定される。もし、肯定されれば、クレームの記載によって把握される発明は審査対象、権利の基礎とされる上で十分に明確な記載であるということになる。
上記(A)の判断において、課題の裏返しに過ぎないと判定されたものについても、そのまま実施例が想定されるようなものは存する。例えば、上記「鉛筆が転がらないようにしたことを特徴とする・・・」は、この記載から種々の実施例を想起しうるとも考えられる。しかし、これは解決手段を何ら示していないものであるにもかかわらず、課題から実施例が想起されるのであり、公知技術からみて進歩性のない技術であることも明らかである。ただ、その様な記載ではそもそも新規性や進歩性を判断するレベルでの発明の明確性がないのであるから記載不備ということで審査は終了する。
(C)の判断は、審査基準に示されているものではないが、仮に(B)の判定でNoであっても、明細書の実施の形態等の記載を参酌すれば、他の実施形態が想起されるような場合も、クレームと明細書の関係からして、クレームの記載によって発明は明確になっていると考えても良いのではないかという私見である。

以上

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